普段のお子さまの勉強の取り組みは真面目であり、問題なさそうなのに、いざ試験になると点数が取れなくて悩んでいるところはあるでしょうか?
基本的なことはできていても、それを応用させる力や、的確な方法を気づける「勘」が働かないことで、成績が今一つ上がらないお子さまは一定数います。
そのようなお子さまにはどのような原因があり、どうすればそれが解消されていくのかについて紹介してまいります。
とある家庭教師で気づいたこと
さて、このブログの中の人は、最近は家庭教師に忙しい日々を送っております。
月曜日から土曜日まで12人の家庭教師をしております。
小学校5年生から高校3年生までと、幅広く受け持っており、教科も小中学生なら全教科、高校生は中心は数学、わかれば英語を教えています。
だからこのブログの更新が少なくなってるのか…
余計なことは言うなよ!
バレた?
さて、ある日、中学1年の男の子の家庭教師に行って…
その生徒がわかりづらい状態だと言って、方程式の問題を聞いてきました。
問題は次のようなものでした。
A,B2つのかごに42個ずつみかんが入っています。
AからBへいくつかのみかんを移したら、AとBのかごの中のみかんの個数の比は3:4になりました。
AからBへみかんを何個移動したでしょう?
方程式の章の問題(実際は比例式)だから、私は生徒に「そこで求められている解き方」を示しました。つまり次の通りです。
【中学生の解き方】
これでマルをもらえるわけですが…。
私はこれだけでは不十分だと考え、生徒にこうもちかけました。
これって、文字を習っていない小学生でも十分解けるんだけど、その考え方、知りたくない?
案の定、生徒はノッてきます。そこで、彼に教えた方法はこれです。
【小学生の解き方】
生徒はこれがわかりやすいと言いました。
ちなみに、高校生だと次のように解くでしょう(数学Ⅱ「等式の証明」で履修します)。
【高校生の解き方】
1つの問題を解くにも、さまざまな解き方があるものだと感じることでしょう。
すでにお気づきの方もおられると思いますが、実は「小学生の解き方」と「高校生の解き方」は同じであり、「中学生の解き方」だけが異なっており、何やら面倒くさいんです。
これは、中学生になると文字を使って数や式を表現しようとするようになることが原因です。
もちろん文字を使って考えた方が的確で早いという場合もあります。
文字を使用するメリットは、文章で言われていることをそのまま式に「翻訳」すれば、ごちゃごちゃ考えなくてもスムーズに式で考えられるようになるということです。
けれどもそれがデメリットにもなります。
考えなくてよくなるからですね。
式を立てて、方程式を解けば答えが出るわけですから。
文字は一見便利です。
ただ、そればかりに頼ると、泥臭く考える手間が奪われてしまうのです。
それが小学校で文字をまだ扱わせない理由なのかなと考えているのですが…。
もともと日本人は…
本題から思いっきり外れそうな話になる印象を持たれるかもしれませんが、最後にはそれがつながる話になりますので、じっくり読んでくださいね。
日本の誇るべき技術
私たちが暮らす日本は、他国と比較をしても高い技術力や精神力を持った人々であふれた国であるということを自他ともに認めているところが大きいのではないでしょうか?
ことさら、ものづくりにかけては、他の追随を許さないレベルまで来ており、日本でしか作れないものもあるということをよく耳にします。たとえば和紙、日本刀などの伝統工芸や技術をはじめ、高純度の半導体、高速鉄道に使用する緩まないねじ、宇宙産業に欠かせないカーボンファイバー技術、自動車のハイブリッド技術など、挙げればキリがありません。
これは日本人の持つ精密さ、正確さ、勤勉さなどが影響しているでしょう。
江戸時代の日本は、数学は娯楽だった
今の私たちにとって、数学とは何でしょうか?
理系の人は「知っていなければならないもの」「大学受験に必要なもの」「物理や化学の論理を進めるための道具」などという意見があるでしょう。
けれども多くの人は「難しい」「役に立たない」「挫折経験の諸悪の根源」などと、ネガティブなイメージを持つ人が多いのです。
では、数学は昔からそういう忌むべき存在だったのでしょうか?
それが違うんです。
江戸時代、数学は流行だったのです。
江戸時代といえば、「日本は鎖国の真っ最中で、他の国の影響を受けていない、閉じられた時代だった」とイメージする人が大半だと思います。
ところが、どうもそうではなかったようです。
江戸時代は寺子屋が発達し、子どもに対する学問の教育が活発であり、当時の識字率は世界トップだったといわれます。
また、神社へ行くと、絵馬が多くぶら下げられていましたが、そこにオリジナルの数学の問題が書かれていて、「私が作った自慢の問題だ。解けるものなら解いてみよ」と言わんばかりの「問題」でいっぱいであり、それにチャレンジをした人であふれていました(この絵馬を「算額」といいます)。
今でいうとネットの掲示板といったところでしょうか。
そのように数学は知的好奇心を駆り立てる「娯楽」でした。
それによって日本の数学は大成長を遂げ、関孝和を筆頭として「和算」が発達、当時の欧米のレベルよりも場合によっては上を行っていたとされています。
驚きなのは、そのブームが知識層のみならず市民全体にまで広がっていたという点にあります。
今の私たちが文明の最先端を行っているし…
と豪語している人はその実どうなのでしょう?
昔の子供の遊びから垣間見えること
特に戦後の日本の経済成長のスピードは、世界を驚かせました。
この頃の子供たちは、間違いなく今と比べれば、決して裕福ではなかった人が多かったでしょう。
また、今のような便利な生活を送っていた人も一握りだったでしょう。
物がなかった時代、何でも買うことができなかった時代に、子供たちは自分で作ることを楽しんでいました。
私もその終わりの時代を子供として過ごしていましたが、たとえば紙飛行機を作ったとき、どういう形のものが良く飛ぶのかを試行錯誤したり、羽を工夫してみたりして、改良していき、仲間たちとその「性能」を競っていました。
ですから、戦後間もなくの時期に子供だった人はなおさらだろうと感じます。
その「開発精神」が、将来のレベルの高い日本のものづくりの原動力となったのは言うまでもありません。
彼らは不足の状態でも、いや、そうだったからこそ、知恵と工夫を武器とできたのでしょう。
また、食うため、生きるためにがむしゃらだったということもあるでしょう。
遊びの変容と指向形態の変化
けれども時代は変わっていきます。
私の小学校から中学校にかけての時代、ゲームが流行りだしました。
それからというもの、ゲーム機が店頭に並び、新作が出ようものなら、長蛇の列に入って求めていったのです。
もうこの時代は、もはや人々は豊かになっていました。
ゲーム機やソフトが爆発的に増えると、自分たちが苦労して考えたり創造するという作業は要らなくなるわけです。
そのように用意されたコンテンツをただ消費するという大勢ができてしまいました。
もちろんゲーム自体は問題解決を促し、利用者の想像を駆り立てるという点での役割はあります。
そして現在はモバイルゲームが主流でしょうか。
子供から大人まで、何なら高齢者も楽しんでいます。
それとは関係するのかわかりませんが、現代の私たちは想像力が乏しかったり、めげずに続けきれなかったり、地道に工夫し、最高のクオリティーを目指すハングリーさは薄くなってきたような気がします。
この姿勢の変化は、当然勉強に対する姿勢にも影響するはずですね。
親御さんに伝える、お子さまを変える方法(本題)とその理由
そういった話を踏まえて、やっと本題です。お待たせいたしました。
お子さまがなかなか勉強に身が入らない、勉強の方法がどうも上手くなさそうだなど、お子さまの勉強について気になっておられる親御さんは少なくないと思います。
どのような方法で、お子さまに火をつけるかということを以下に紹介いたします。
ズバリ、お子さまを○○○にすること
さて、結論です。
お子さまを不自由にさせることが、学力向上につながります。
今までの文章をしっかり読んでこられた皆さまは「ああ!」となったかもしれません。
では、なぜそうするとお子さまの学力が向上するのかについて説明します。
理由1 「他人事」から「自分事」に変わるから
お子さまが勉強や受験のことを他人事のような言い方をしているというところはいらっしゃいますか?
意外と多いんです。
「いや、おまえ自身のことだろ!」
とツッコみたくなる親御さんもおられると思います。
これにはいくつか原因があるでしょう。それは以下の通りです。
お子さまが他人事な態度である主な原因
- 大変なことであるということを知らない
- しっかりやらなければならないとわかってはいるが、逃避願望がある
- まだ時間があると思っていて、先延ばしにしている
- 周りの人が何とかしてくれると期待している
- 親や教師への反発など、しっかり取り組みたくない理由がある
いずれの原因も、「大丈夫かなぁ?」と思いたくなりますよね。
たとえば教材などを何でも買い与えるというところがあります。
お子さまの意見を無視して、塾に通わせるケースもあります。
けれども、それらはお子さまにとっては本気になれない要素となります。
お子さまが取り組んでも、あくまでも主体性は出さないでしょう。
逆に、自分がやるしかないという環境にお子さまを置くことの方が効果的なケースが多いのです。
それはお子さまの持ちがちな甘えを断ち切ることにもなります。
そのようにして、自分のことは自分で手掛けていく習慣をつけさせていくのが良策です。
理由2 自然と「良くしていきたい」と思うから
物事を行うには、それを行う理由がある方が、人間は行動に起こしやすいです。
たとえばダイエットをしたい人が2人いるとします。
A:ただやせた方がいいと思うから
B:今度の夏に海へ行くのに、いいスタイルになりたいから
どちらの方が真剣にダイエットに励むと思いますか?言うまでもないでしょう。
お子さまに「どうして勉強するの?」「どうして○○大学を目指すの?」と聞いてみてください。
どれくらい差し迫った考えが出てくるでしょうか?
お子さまがどうしてもやりたいこと、目指したい未来があれば、自ずと勉強や受験が「自分事」に変わってくるでしょう。
それは、選択肢が狭いほど、真剣なものとなります。
別にそれがかなわなくても、他にいくらでも方法があるなら、真剣に取り組む理由がないのです。
そうでなく、「もう○○するしか道はない」という不自由な中にある人ほど、目の色が変わるものです。
お子さまに工夫をさせる方法
お子さまに不自由を与え、主体的な態度に変えると、自分で回り始めます。勉強にも工夫が生まれてきます。その結果学力が上昇します。それが定着すると、大学に合格できる状態になります。
では、お子さまが自ら考え、工夫をする態度に変わるための方法について紹介します。
基本突き放す
お子さまにべったりでは、お子さまが自立しません。
基本お子さまを突き放して、自分で立ち回れるようにしましょう。
けれども、「突き放す=放任する」ではありません。かといって拒絶するということでもありません。
賢明なこのブログの読者の皆さまは、そのことはご理解なさっておられると思います。
突き放すからには見守るのとセットであることを忘れてはなりません。
お子さまが困ったときは、その時が親御さんの出番です。
その時は親御さんが解決しなくてもいいのです。
お子さまの話を聞いたり、一緒に悩んだり考えたりしてあげるだけでいいのです。
お子さまは話を聞いてもらうだけでも半分は解決しています。
また、答え全部を与えないことで、お子さまの問題はお子さまにとって「自分事」になっていくのです。
お子さまとの会話のキーワード
何も勉強や受験のためのことが、勉強の時間だけしかつながっていないということはありません。
お子さまと関わる時間にこそ、親御さんがお子さまに影響を与える格好の機会です。
その際、お子さまが自然と考え、自分で責任を持つよう促せるものであれば最高です。
たとえば「どうしてそう考えるの?」「なぜ○○って起こるんだろう?」「どうしたらいいと思う?」など、お子さまの思考に関わる問いかけをするのがコツです。
これは大学入試における小論文や面接にも活かせる取り組みにもなりますので、ぜひ実践してみてください。
お子さまへの約束は早めに
お子さまに与える不自由で代表的なものは、「うちはお金がないから○○にしかやれない」というものでしょう。
○○の中身としては、「県内」「今住んでいる地方」「国立大学」「せいぜい2校の受験」などがあります。
そうすると、お子さまの選択肢は必然的に狭まり、不自由となります。
目指せる大学が減ります。
あるいはハードルが上がります。たとえば私立でなく国立大学となると、目指せる大学のレベルは上がりますから、それだけ勉強が必要となります。しかも6教科バッチリと。
お子さまがすることになる受験勉強の内容はそれでガラッと変わるわけですから、それを3年生になってから言われても、お子さまは修正できないでしょう。
もしお子さまに目指してもらう大学に制限が必要な場合は、1~2年生の間に共有しておくべきです。
これは、お金があって、そう仕向けたい場合は、お子さまにその事が漏れないようにしましょう。
ただし、親御さんも慎ましく清貧の生活をしてもらう必要はありそうです。外国車にブランドバッグでは説得力がありませんので(笑)
経済面だけでなく、学習や受験に関して、お子さまに理解しておいてほしいことや、それによってお子さまに制限がかかる場合は、しっかりとお子さまと話す時間を取りましょう。
「応用力」と「勘」の正体
試験を解いていたら、応用がバリバリ利いた難しい問題と呼ばれるものが出てきたり、見事に勘が働いて問題が解けたりなどといったことに遭遇します。
この「応用力」や「勘」は、試験を解くうえで大きな影響を与えます。これらが十分に働いたとき、得点は跳ね上がり、入試では合格に近づく要素ともなります。
これらは一体何なのでしょうか?またそれをたくさん身につける方法とは何でしょうか?
それについて解説します。
応用力が身につくための条件
えてして応用力を発揮できるのは得意教科であることが多いのではないでしょうか。
「応用問題=難しい問題」であるということは、ほとんどの方々の共通認識でしょう。
その通りです。
応用問題とは、その問題がいきなり難しいというわけではなく、基本的な項目を積み重ねて解くことができる問題ととらえてください。
つまり、応用力が必要な問題が解けるということは、基本的な項目を組み立てる力があるということを意味しています。
難しい問題が解ける人、あるいはその教科が得意な人は、その基本事項がしっかりと押さえられています(だから得点できるのでしょうけど)。
では、どのようにすれば基本的なことを理解し、それを積み重ねることができるようになるのでしょうか?
それは以下の通りです。
応用力がつくまでの流れ
- 第1段階 その項目の言葉や意味をただ理解する
- 第2段階 その内容を用いた、周辺のことがわかる
- 第3段階 利用の仕方をいくつか学ぶ中で、この言葉が出たらこの考え方を利用するようだといった「パターン」を身につける
- 第4段階 その「流れ」を把握できれば、類似項目の互いの違いに気づけ、区別できる
- 第5段階 それらのセットを記憶として収納できる状態になり、試験でも解けるようになる
段階の低い内容ほど、忘れやすいです。
ですから、忘れてもしつこく覚えなおす作業が必要となります。
それをめげずにやり続ける人が、応用力を身につけられます。
何もないところから突然湧いてくる「勘」は存在するか?
よく問題が解けずにピンチな状態でいたとき、急に解決する方法を思いつき、正解できたという奇跡的な体験をしたというお子さまもおられるでしょう。
それを「勘が働いた」とか「勘が冴えた」と人々は言います。
そもそも「勘」とは何でしょうか?
「感」じゃないの?
と思った方、鋭いです。
つまり、勘とは、感じることだとか、感覚的なことではないということなのです。
「勘」という漢字は、確かにとある辞書では「物事の意味やよしあしを直感的に感じとり、判断する能力」と解説されています。
しかし、別の意味で「考え合わせる。つき合わせて調べる。」というのがあります。勘定や勘案なんて言葉がある通りです。
つまり、思考のネットワークができて初めて、もっと言うなら理解すべき項目を身につけて初めて勘は働くのだということだと私は解釈しています。
なぜなら、「これはどういうことだ?」という疑問に対しての答えを与えるのは、それについての知識でしかないからです。知りもしないことに対して思考を展開することは難しいからです。
けれども、よく知らないことや、解決がよくわからないものに対して、対策法は0かというと、そうではありません。それと類似したものを参考に結論を近似させるという方法があるからです。「これとはちょっと違う○○の場合だと△という結果になるから、この場合だと△′という結果になるんじゃないかな?」ということです。
これが基本を積み重ねるということです。
「○○って勉強したけど、これは何に利用できるかな?」と考えることが必要です。
間違っても「○○って、世の中では使わないからムダでしょ?」と思わないことです。
この辺の話は後日しますね。
ですから、私はこのような持論があります。
「やらない人には奇跡は起きない」
まとめ
今回は話題がいろんな方向へ飛びましたが、お子さまが主体的になって勉強に取り組みだし、やがては応用力や勘を身につけ、難しい局面でも自力で乗り越えることができる力を持つための方法について紹介しました。
そのためには、お子さまが甘えることなく、時には厳しい条件にさらされたとしても、少ない選択肢の中で創造的に計画し、自分の取り組みを考えることが近道であり、必ずしもお子さまに与えまくることがお子さまのためにはならないということをお伝えしたいと思います。
とはいえ人はそれぞれです。お子さまの歩幅をよく踏まえ、親御さんにしかできないサポートを考えて、お子さまの成長に関わっていただければと思います。
主体的に考え、行動するお子さまに一歩近づくための一助になれれば幸いです。
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